2013年

8月

27日

神々の杜に

 夏の終わり、杜に包まれた雨上がりの神社に一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気が漂っていました。ひんやりとした空気は、上がった雨や杜だけがもたらしているものではない特別な気配を含んでいるような気がします。

 この神社に詣でた幾多の人々の悲しみ、喜び、祈りなど様々な想いが交錯して、このひんやりとした空気を醸し出しているのかもしれません。幾多の人々の想いと自らの想いを共鳴させ、神々の宿る杜に静かに祈りました。8月も残り僅かです。


 

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2013年

8月

21日

白百合の君

 気品と清楚を兼ね備えた花、白百合。白い百合は、カサブランカをはじめとして数あれど、私にとっての白百合はこのタカサゴユリです。花屋さんで見かける園芸種の白百合たちの華麗さはありませんが、眩いばかりの白の質感と花姿は、清楚な気品に満ち溢れています。そして、何よりも野山や道端にさり気なく咲く逞しさ。清楚な花姿に似合わないほどの逞しさも魅力です。

 高校時代からずっと私の「白百合の君」だった貴女。貴女を見ていると、歳を重ねることさえ素敵なことだと思えてしまいます。いつまでも変わらぬ気品と清楚さを湛えた白百合の君が懐かしくてたまらない晩夏です。

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2013年

8月

13日

瀬音

 両親と夫と息子達総勢6人が久し振りに集い、水上温泉で父の誕生日を祝いました。緑と川に抱かれた鄙びた温泉というイメージの水上でしたが、若者が闊歩する街へと変貌していました。
 温泉と若者、そのままではまったく結びつきそうにもありませんが、川が若者を惹きつける場所へと変えたようです。ラフティングというゴムボートに乗っての激流下りです。昼間は、ラフティングに興じる若者達の歓声がこだましていますが、夜は、静寂の中瀬音だけが静かに響いています。

 

 

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2013年

8月

06日

紅き花みな

 7月の終わり頃、道端の草むらのあちらこちらで咲いてオレンジ色の花。どこから見ても洋風な雰囲気ですが、万葉集にも詠まれるほど古くから日本にある花と知って少し驚いています。藪萱草(やぶかんぞう)という名で、忘れ草とも呼ばれているようです。

 万葉の時代とどうしても結びつかないイメージの花の色と形ですが、万葉びとにとっては、憂いを忘れるほど煌びやかな花だったということでしょうか。以来、たくさんの歌人に詠まれてきた忘れ草ですが、私の心から離れないのは、山川登美子のこの一首です。

 

    それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ

 

 与謝野晶子に短歌も恋も譲った薄幸の人の情念がこの花の中で燃え立っているようです。

 
 

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2013年

8月

04日

生きて行く場所

 金曜日、いつもの通り長野経由の最終「特急しなの」で帰宅する予定でしたが、早朝から続いていたJR東日本の新幹線のダイヤの乱れの影響で間に合わず、急遽、東京経由で帰宅することになりました。
 安中榛名駅で待つこと2時間、ようやく20時15分発の東京行きに乗りました。通常は、21時30分発の名古屋行きに乗れるのですが、大宮~東京間は、動いたり止まったり、とても間に合いそうにもありません。東京発の名古屋行き最終新幹線は22時。最悪の場合は、東京泊りになってしまいますが、間一髪、最終名古屋行きに2分前くらいに飛び乗りました。

 家に着いたのは午前1時近くでした。こんなことがあると、心身の疲労もピークとなって、移動の多い日々の暮らしについて考え込んでしまいます。私の生きて行く場所は、一体どこなのでしょうか。

 軽井沢の森に咲くウバユリが、コンクリートの都会では生きて行けないように、私が生きて行くのに相応しい場所があるはずです。今は、それを探す旅の途中かもしれません。

 

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