2013年

10月

30日

黒紫色に熟して

  木々の紅葉ばかりに目が行きがちですが、紅葉は木々だけではありません。軽井沢のいつもの散歩道の植物達も秋から冬へと衣替えをしていました。週末には、絵空事のように見えた軽井沢の秋景色でしたが、日常に帰り風景を思い返すと、数日を経て少しずつ心の中に飛び込んできました。    

 洋種山牛蒡の黒紫色に熟した実と紅葉した葉、秋は立ち止まることなく深まり、赤紫だった実が、黒く熟して、すっかり晩秋です。この葡萄のような、ブルーベリーのような実のなる植物が、猛毒を持っているとは・・・。根、葉、実の順に強い毒を持っているようです。鳥達がこの実を食べたりすることはないのでしょうか。本能的に、猛毒の植物は避けているのかもしれません。

 11月の下旬に再び軽井沢を訪れる頃には、森はすっかり初冬の景色になっていることでしょう。季節の歩みに遅れないように、日々を大切に生きていかないと。

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2013年

10月

27日

秋深まって

  土曜日の夕刻、軽井沢へ。午前中までの雨も上がり、明日は久しぶりの青空が見られそうです。日曜日、美しい紅葉がそこここに。常緑樹の緑と赤や黄色に色づいた落葉樹、そして青空のハーモニーに心身が癒されていくはずなのですが、何故か景色に共鳴することが出来ません。

  秋深まる散歩道も、まるで写真でも見ているように遠く空々しく感じてしまいます。美しい紅葉、美しい景色も心に響かない。そんなこともあるの?と自分自身に驚いています。そんな私を置き去りにするかのように秋は一気に深まっていくようです。

 

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2013年

10月

23日

柘榴の実

 実りの秋、食べられる実も食べられない実も、枝もたわわに実る頃となりました。食べられないけれど綺麗な実、見るからに美味しそうな実など、実家の周りには少し気をつけただけで、いろんな実を見かけることが出来ます。

 昨日は、柘榴(ざくろ)の実を見つけました。木になっているのをしっかりと見たのは初めてかもしれません。そんな状態なので、花が咲いていた頃に見かけていたとしても、それが柘榴の花と気づくはずもありません。柘榴の木のある場所を覚えたので、初夏に咲くという柘榴の花を今から楽しみにしています。

 熟した実が裂けて、美しい柘榴色の種が見えるのも間近なようです。そういえば、1月の誕生石ガーネットの和名は、柘榴石でした。

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2013年

10月

19日

赤い実

 10月としては記録的な暑さ、度重なる台風の襲来など、ゆっくり深まっていく秋を楽しむことも出来ないまま、10月もいつの間にか下旬になろうとしています。今年も去年のように秋は短く一気に冬がやって来るのでしょうか。
 もっとゆっくりと少しずつ秋が深まって欲しいと思うのは私の我儘でしょうか。植物達はいつもと違う気候の変化に戸惑いながらも、季節の移ろいをしっかり感じ取っているようです。庭の花水木には赤い実がつき、葉も紅葉を始めています。  

 日々の生活に埋没するあまり、季節の移ろいを見逃すことのないようにしないと。周りの風景を見る心の余裕を忘れないようにと花水木が語ってくれているようです。

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2013年

10月

17日

紫の

  台風一過の実家の庭で、朝の陽射しを浴びて輝いている紫の実を見つけました。「紫式部」という実とのことです。紫式部という名、そして、紫という色は、「源氏物語」の「紫の上」を連想させ、古典の世界へと誘ってくれるようです。

 そういえば、万葉集にも「紫」という言葉の入った有名な歌がありました。

 

「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」(額田王)

「紫の 匂える妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも」(大海人皇太子)

 

 かつて、古典文学の深淵な世界を紐解いてみたいと思ったことが、今、懐かしく思い出されます。額田王と大海人皇太子の恋の歌、深刻な重苦しい恋のはずなのに、それを超越した「おおらかさ」「伸びやかさ」が二人の歌に満ち満ちています。この二つの歌に鮮烈な衝撃を受けた高校生の頃が甦りました。

 

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2013年

10月

14日

真珠のネックレス

 静かな休日の午後、穏やかで優しい気持ちに向かい合っていると、村岡花子さん訳の「アンの青春」の一節が思い出されました。「一番幸福な日々というのは、すばらしいことや驚くようなこと、胸の沸き立つような出来事が起こる日ではなくて、真珠が一つずつ、そっと糸からすべりおちるように、単純な小さな喜びを次々に持ってくる一日一日のことだと思うわ。」

 人生の小さな喜びを繋ぎ合せた私の真珠のネックレスは、色も形も様々です。喜びだけでなく、悲しみも少し混ざっているネックレス。形や色艶の揃った完璧な真珠のネックレスよりも、この不揃いな真珠の方が私には似合っているようです。これからも、小さな喜びや悲しみをこのネックレスに一粒一粒重ねて行けますように。

 

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2013年

10月

12日

ヒロシマ

 日本人として一度は訪れなければならない場所ヒロシマ。遅ればせながらようやく訪れることが出来ました。雨上がりの灰色の空を背景に佇む原爆ドームと多感な高校生の頃読んだ大江健三郎の「ヒロシマノート」が重なりました。
 「ヒロシマノート」の「思想」は、しっかりと心の中に刻み込んできたつもりですが、その後歩んできた歳月の中に「細部」を置き忘れてしまったような気がします。もう一度「ヒロシマノート」を読み直して、置き忘れてきた大切なものを拾い集めなければなりません。

 そう心に決め歩を進め始めると、暗い雲は去り青空が少しずつ広がって来ました。原爆慰霊碑から望む原爆ドームに、青空が眩しく光っています。「世界中が平和でありますように」とそっと祈りました。

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2013年

10月

09日

秋風に想いを乗せて

 野山で見かける普通のススキとは少しだけ趣の異なるススキに出会いました。斑入りの葉のこんなススキは初めてです。背丈も少し大きいような気がします。野山に自生するススキとは異なり、園芸品種で「タカノハススキ」という名前があるようです。そういえば、見かけたのもご近所の庭先の畑のような場所でした。
 風に揺れるタカノハススキをしばし見ていたら、これから少しずつ秋も深まって行って・・・と久し振りに少しだけ感傷的になってしまいました。「秋風に想いを乗せて」というススキの花言葉と感傷的な気分が共鳴した短い秋の黄昏時は、あっという間に漆黒の夜へと変わっていきました。

 明日からは、広島での会議。日常から少しだけ離れて、秋風を感じる時を過ごしましょう。

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2013年

10月

02日

なつめの実

 10月になって実家の庭も少しずつ秋めいてきているはずと思いつつも、植物達に向き合う時間はなかなかありません。夕方帰宅する頃は、もう日も暮れてしまうようになりました。朝の僅かな時間が、日常の中に秋の気配を感じる貴重なひと時です。今朝は、小さな実がなっていることに気づきました。

 母に聞くとなつめの実とのこと。夏に芽が出ることから「なつめ」と名づけられたようです。なつめは、中国では桃や李(すもも)、杏、栗と共に「五果」として数えられ、珍重されてきたそうです。「1日3個食べれば歳を取らない」と言われてきた「なつめ」がこんな身近にあったとは。是非味わってみたいものです。

 今年は、「かりん」や「あけび」は花の時から見守ることが出来ましたが、来年は「なつめ」がどんな花をつけるのか楽しみです。

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