2012年

4月

29日

モーツァルト「レクイエム」

 昨日、軽井沢大賀ホールで金聖響指揮、シュナイト・バッハ合唱団/東京フィルハーモニー交響楽団によるモーツァルト「レクイエム」を聴いて来ました。中軽井沢駅からしなの鉄道で一駅、軽井沢駅から歩いて5分ほどの所にあります。

 サントリーホールと同じように客席が舞台を囲む形になっていて、その上こじんまりとしているので、客席と舞台が非常に近く感じられました。演奏者と聴衆が一体となって「レクイエム」を共有したという想いと、あの場に集ったすべての人が唯一無二の「レクイエム」を創りあげたのではという想いが交錯しています。

 対訳の歌詞もありましたが、言葉を越え、宗教を越えた荘厳な調べが、今も全身に残照となって鳴り響いています。荘厳な鎮魂の調べを、生けるものの一人として魂に刻みこみました。

 「慈しみ深き主よ、あなたの聖徒と共に永遠の光を彼らの上に耀かせてください。主よ、永遠の平安を彼らにお与えください。」クリスチャンではありませんが、そっと祈りを捧げました。

 

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2012年

4月

28日

軽井沢の森で

 今朝は、早起きをして散歩に行って来ました。昼間は、23度くらいまで気温が上昇するとの予想ですが、朝は、まだ肌寒いくらいでした。それでも歩いているうちに少しずつ体も温まってきました。

 昨年見つけたウバユリの咲く森は、今、どんな感じになっているでしょうか。まだ枯葉に覆われたままで、芽吹きは全く見られないのでしょうか。遠くから見るウバユリの森は、まだ枯葉色です。枯葉の下で、芽吹きの時をじっと待っているのかしらと近づいてみると、艶々とした葉が顔を覗かせています。

 例年以上の厳冬を耐え抜き、芽吹き始めたウバユリに今年も出合うことが出来ました。小さな命の芽吹きに、大きな力を貰った朝でした。夕方からは、軽井沢大賀ホールのモーツァルト「レクイエム」を聴きに行くことになっています。

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2012年

4月

27日

「ただいま」

 軽井沢に遅い春がやってきました。長い間冬のまま、クリスマスのアレンジから時が止まったままのアトリエの扉を開け、隅々にまで春の空気をたっぷり入れましょう。本当に久しぶりの軽井沢です。今夜ようやく「ただいま」と帰って来ることが出来ました。

 何か月も締め切ったままでしたが、光触媒アートグリーン&アートフラワーの効果絶大、空気に澱みはなく、何日か留守にしたくらいの感じしかしません。この緑に包まれたアトリエは、単なる創作の場だけでなく、今年は私自身が再生していく場になりそうです。心身の疲れを癒し、前に進んで行く力を蓄え、二つの日常へと帰って行きましょう。

 今年もまた、ウバユリや沢山の植物に出合えますように。明日はよいお天気になりそうです。

 

 

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2012年

4月

25日

シフォン・ジョーゼット

 昨夜、「これ覚えている?」と母がとても懐かしいものを出してきてくれました。ベージュの小花柄のシフォン・ジョーゼットのワンピースです。お気に入りの洋服は数々あれど、きっとこれほど思い入れのあるものはないかもしれません。再び思い出スイッチが入りました。

 大学を卒業して群馬に帰り、小学校の教員になりたての頃、着ていたワンピースです。ベージュ系の濃淡の小花柄は、決して派手な感じではありません。フラワープリントとしては地味な方かもしれません。柔らかく優しいシフォン・ジョーゼットのシックな花柄を生かした少しふんわりしたデザインのワンピースです。

 このワンピースの懐かしいエピソードが昨日のことのように甦りました。教え子の恭子ちゃんが「先生、私、そのワンピース大好き!私が大きくなったら貰っていい?」と言ったのです。「いいわよ、大切にとって置くわね。」と私。

 恭子ちゃん、あの日の約束をちゃんと守ってワンピースとってありますよ。恭子ちゃんは、今、どこでどうしているのでしょうか。きっと、素敵な女性にになって、良い人生を歩んでいることでしょう。

 

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2012年

4月

23日

ゆずり葉

 まるで昨日のことのように、少年だった頃の思い出を語る父。昔のことをなぜそんなに鮮明に覚えているのかしらと不思議に思うことがたびたびです。

 今の私はまだ特別な思い出以外は、セピア色の包装紙にくるんで心の片隅に仕舞い込んであるような気がします。いつか、心の片隅からたくさんの思い出を取り出し、包装紙を開く時まで、大切に仕舞っておきましょう。

 それでも、すっかり忘れていた過去のワンシーンを突然鮮やかに思い出すこともあります。土曜日、桃花台中央公園を散歩していた時に、伸びやかな新芽が目に飛び込んで来ました。「ユズリハ」「ゆずりは」「譲り葉」、学生時代「四季の会」というサークルで作っていた冊子の名前をとった植物です。春、新芽が出ると、それまでの葉は皆落ちていくというゆずり葉、今まさに新芽が萌え立ち、新旧交代の時を迎えようとしていました。

 ゆずり葉と共に甦った学生時代と「四季の会」、仲間達の顔が懐かしく思い出されます。思い出の中の仲間達は、皆溌剌とした若者のままですが、夫と私だけはすっかり年を重ねてしまっています。

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2012年

4月

21日

散歩道で

 昨夜は、中央線で人身事故があったため、最終の「特急しなの」も1時間近く遅れました。それでも、何とか日付が変わる前に帰宅することが出来ました。群馬と愛知の往復、大変でしょう、大丈夫?とご心配いただくことが多いのですが、二つの日常を上手に愉しむよう心がけています。

 非日常に身を置くことで得るものとは、少し質が違うかもしれませんが、日常の中にも、小さな驚きや歓びが沢山隠れているはずです。忙し過ぎたり、急いでいたりで、そんな小さな歓びを忘れてしまわないように、見失わないようにしたいものです。

 土曜日の午後、桃花台のいつもの散歩道で、ツートンカラーの美しい椿に出合うことが出来ました。日常が、ほんの少し輝く瞬間です。

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2012年

4月

19日

桜と妙義山

 昨日、妙義グリーンホテルで夕方から会合がありました。すぐ帰れる距離なのですが、疲れ気味の自分へのプチご褒美にと一泊することにしました。温泉に浸かって、ゆったりと一人の時間を過ごすという贅沢な時間を過ごすことができました。

 朝食前に散歩しようと張り切って早起きをしましたが、あらまあ、靴を忘れていました。パンプスでは大した距離は歩けませんが、とりあえず、ホテルとゴルフ場へと続いている桜のトンネルを歩いてみました。

 富岡よりも標高が高いので、桜は今が満開です。そして、今年、下界ではついぞ聞くことがなかったウグイスのさえずりが・・・。目には桜と妙義山、耳にはウグイスや鳥のさえずり。慌ただしい日常を忘れる至福の時です。

 「日常性に埋没する」・・・、学生時代よく使っていたフレーズをふと思い出しました。富岡と小牧という遠距離の往復さえも日常になってしまいましたが、時々は、日常から脱却することも必要なのではと感じた朝でした。そして、また慌ただしい一日が始まりました。

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2012年

4月

17日

桜散る時

 満開の桜もあっという間に、ひらひらと舞い落ちる時がやってきます。刹那の美しさ、美しさと背中合わせの儚さ・・・。舞い落ちる桜を眺めていると、切なさで胸が詰まります。

 蕾が膨らみ始めた頃の今年も桜に出合えるという静かな想い、咲き初めた頃の満開を待つ想い、野山が桜色に染まる満開の時の高揚した想い、そして、やがて桜舞い散る時。切なくもの悲しいけれど、1年後の再会を誓う時です。

 桜の時、これまでは過去の幸せなシーンを桜に重ねて懐かしく思っていましたが、これからは、未来の桜の時をどのように過ごそうかと思い描いてみたいものです。

 

 

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2012年

4月

15日

しだれ桜に

  今朝早く、近くの公園にしだれ桜を見に行ってきました。来週には、もう見ることが出来ない今年だけのしだれ桜を。このしだれ桜と夫に見送られて、朝一番の特急しなので群馬へと。

 土曜日だけの短い休日でしたが、桜咲く季節、桜に包まれた時を過ごすことが出来ました。そして、群馬の桜は、昨日の雨にも負けず、満開の時を迎えています。これからもまだしばらく桜の時を楽しめそうです。

 

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2012年

4月

14日

桜と桃と

 いつもの年なら3月下旬から4月の初めに咲く桜が、今年はこんなに遅くなりました。優しい桜色に野山が染まってからほどなく、小牧のあちらこちらでは桜色より少し濃い桃の花に包まれます。そんな春の風景を名前に持つ街「桃花台」に住むようになってからずいぶん時が流れました。

 遅い桜は、桜と桃の珍しい競演と美しいピンクのグラデーションを「桃花台」にもたらしてくれました。ひらひらと舞い落ちる桜の小路をゆっくり歩き、桜と桃の美しいグラデーションを静かに眺める・・・。短い休日ですが、今年ならではの桜の季節を楽しむことが出来ました。

 流れる時、移りゆく自然を切ないほど感じることのできるこの季節が愛しくてたまりません。この桜と桃のグラデーションを、いつまでも忘れませんように。

 

 

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2012年

4月

12日

桜の季節に思うこと

  今年もまた桜の季節がやってきました。春を告げる花は数限りなくありますが、桜はやはり私達日本人にとって特別なものです。特に、多くの命が失われた昨年は、奇跡のような日々を重ね、再び桜に出合えたことに心から感謝しました。

 桜の季節にいつも思うこと。もし、過去に戻れて3日間だけ桜の季節を迎えることができるのならば・・・。最初の日は、若き日の父母と三人で咲きはじめた桜を眺めましょう。二日目は、出会った頃の少年のような夫と二人だけで満開の桜を愛でましょう。そして、三日目は、幼い頃の子供達を遊ばせている若い母親に戻って、はらはらと散る桜の木の下で、いつまでも子供達と桜を見つめていましょう。

 そして、何よりも今という時を大切に、今年の桜を、今年だけの桜を楽しむことにしましょう。  

 

 

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2012年

4月

11日

恵みの雨

 春爛漫、あちらこちらで一斉に咲き始めている花にばかりつい目がいってしまいがちですが、緑もその存在感を日々増してきています。数日前までは何も生えていず土ばかり目立っていた木の根元に、緑の葉が元気に育っています。

 何の葉っぱでしょうか。この場所には、一体何が生えていたのかしらと思い出そうとしても、まったく思いだせません。両親に聞けば、すぐわかるかもしれませんが、敢えて聞かず、これからの成長を見守ってくことにしましょう。 

 自分自身の目で、植物の成長を見守り、それが何であるか見つける・・・小さな楽しみが出来ました。夕方止んだ雨がまた音を立てて降ってきました。ようやく開花した桜にとっては、花散らしの雨かもしれませんが、植物達には恵みの雨となることでしょう。

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2012年

4月

09日

薄暮の庭で

 月曜日、始発の「特急しなの」で群馬へ戻ってきました。短い休日でもしっかりリフレッシュして、新たな1週間が始まりました。これまで、「この道は自分自身で選んだ道」と納得しながらも、長い間「もし、あの時、違う道を選んでいたら・・・」という後悔のような想いを心の片隅に抱き続けてきた私。そんな想いに決別する時がやってきました。

 新たな決意でこの道を歩いて行く覚悟が出来ました。この道の向こうには、どんな未来が待っているのかわかりませんが、しっかりと前を見て歩いて行かなければ。

 慌しい一日が終わり、帰宅した薄暮の庭で、バニラ色のヒヤシンスが咲いているのを見つけました。ほのかな光、ささやかな祈り、小さな希望・・・。大きくなくてもいい、ささやかな歓びを見つけて生きていきたいと、薄暮の庭に咲くバニラ色の小さなヒヤシンスの姿に私自身の想いをそっと重ねました。

 

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2012年

4月

08日

遅い春に

 土曜日、群馬に来ていた夫の運転で小牧に帰ってきました。車での移動は本当に久しぶりです。佐久インターを過ぎたあたりだったでしょうか、突然、浅間山が目の前に飛び込んできました。夫にゆっくり走ってと頼んで、助手席で慌ててシャッターをきりました。

 長野新幹線の車窓から毎週月曜日の朝眺めている浅間山も、少しずつ春めいてきているようです。いつもより遅い春、春を待ちわびている私たちのもとに、行きつ戻りつしながらも、優しい春風を運んでくれますように。

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2012年

4月

06日

春なのに

 桜の蕾もだいぶ膨み、庭の草花も、道端の雑草も、小さな命を輝かせています。そんな心躍る春なのに、目の前の縺れてしまった糸を解きほぐそうと必死になっています。ようやく色彩がもどってきた春なのに、冬色どころかモノクロの世界に閉じ込められているようです。

 目の前の大きく重い扉をこじ開けさえすれば、明るい春の光が待っていることはわかっています。それでも、その重い扉を開けることは、結果的に扉の中で長い間続いてきた世界を壊してしまうことになってしまいます。扉を開いて明るい春の光を浴び、共に春を満喫する最良の方法はないものでしょうか。

 「愛と勇気と英気」を私にくださいと、1年たったヒマラヤユキノシタに祈りました。大きく重い扉を開けるための「愛と勇気と英気」を。

 

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2012年

4月

04日

春の嵐

  昨夜から今朝にかけて春の嵐が吹き荒れました。ようやくほころんできた実家の杏の花の蕾も無残に散らされてしまうのではと案じていましたが、無事でした。吹き荒れる嵐にも負けず、必死に生き抜こうとしている小さな命です。

 梅の花が満開を過ぎ、桜の花の蕾が膨らみ始める頃、開花する杏の花。1年の時を重ね、今年もまた花開く時を迎えることが出来ました。

 やわらかな薄紅色の優しい花に見送られた朝。黄昏時、帰宅した私を馥郁たる香りが迎えてくれました。抱えこんだ様々なものからしばし解放されたひと時です。優しい香りをまとって、前を向いて一歩一歩歩いて行きましょう。

 

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2012年

4月

01日

吹く風に

 新年度の始まりが日曜日ということで、新たな決意や決心という高揚した気分は一体どこへやら、何とも腑抜けた休日を過ごしています。今年の4月は、私にとって特別な意味を持つスタートだというのにです。

 人生の転機ともいうべき大きな渦に巻き込まれ、前に進むしかない状態に陥っています。それでも、この渦は、周りの多くの人々の思いや力と共に絶対に乗り越えていかなければならないのです。

 しかし、必死に渦を乗り越え、前に進もうとするのをまるで遮るかのような風が。その風は、これまで築きあげて来たものをただ必死に守ろうとしているだけということは十分わかっていますが、私にとっては大きな逆風なのです。正しいことを正しいと言い、間違ったことを間違ってると言う、この何とも単純なことがこれほど難しいことだったのかと思い知らされています。

 感情と理性のはざまで揺れる日々ですが、雨上がりに凛と咲くツルニチニチソウに力をもらって、この大きな渦を、乗り越えていく決意を新たにしました。

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