2011年

9月

29日

「お菓子放浪記」

 昨夜、映画「エクレール お菓子放浪記」を観てきました。3月11日の津波で多くの方々が亡くなられた石巻市で撮影が行われたというこの映画、機会があったら是非見たいと思っていました。

 震災前の美しい石巻の自然が映像の中だけに残っているという現実と、映像の中の戦中、戦後を生きる人々の姿が交錯し、「生きる」ことの意味を改めて考えさせられました。どんな逆境にあっても、明るく生き抜いていく主人公のアキオ少年の笑顔は、何よりの希望の光です。

 焼け野原だった東京も、戦争で犠牲になった幾多の人々の慟哭を礎として復興しました。この大震災も、きっときっと乗り越えられるはずです。アキオ少年のように希望の光さえ見失わなければ・・・。

 川を上って、感化院に連れて行かれる「過去」のアキオ少年と、川を下って感化院から養母に引き取られていく「現在」のアキオ少年の二つの舟がすれ違うという冒頭のシーン。「お菓子と娘」という歌を通して生きる希望を与えてくれた陽子先生との

再会は雪に包まれていきます。雪の階段を一段一段登るごとにアキオ少年が成長していき、やがて青年となって陽子先生と結ばれるというラストシーン。

 エンドロールに、石巻市のエキストラの方々の名前が出ていますが、その中で無事だった方々はどのくらい・・・と悲しみが募ります。

 

 

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2011年

9月

27日

青空とススキ

 爽やかな秋の日、青空の下でススキが風に揺れています。こうして秋も深まっていくのですね。少し前に台風が吹き荒れたことなど、まるで夢だったと思えるような穏やかな景色が広がっています。

 でも、台風の被害も、地震、津波の被害も現実に起きたこと。決して忘れてはならないことです。青空とススキ・・・あまりにも穏やかな秋の風景に、自然のもう一つの姿を忘れてしまいそうになる自分を戒めました。

 自然の優しい顔と牙をむいた時の恐ろしい顔、どちらも同じ自然の顔、一体どのように付き合っていったらよいか戸惑うばかりです。

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2011年

9月

26日

秋のウバユリに

 久しぶりの軽井沢で、真っ先に会いにいったのは、秋のウバユリです。影も形もなくなっていたらどうしましょうと少しだけ心配でしたが、森の奥で静かに私を待っていてくれていました。

 実を結ばないままに散っていった花もあるのでしょうか、二つの実だけがひっそりと実を結んでいます。軽井沢の秋は短く、あっという間に寒い厳しい冬がやってきます。ウバユリの実は、これから迎える寒い冬をどのように生きていくのでしょうか。

 凍てつく森の中で逞しく生き抜いていこうとしているウバユリ達の姿から大きな力をもらえるような気がします。今できることを精一杯やればいいと背中を押してもらいました。

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2011年

9月

23日

秋分の日に

 今日は秋分の日、暑さ寒さも彼岸までと言いように、すっかり秋めいて来ました。ようやく本来のこの季節の気候になったようです。

 日本中に大きな爪痕を残していった台風15号、本当に今年は自然災害とどれだけ対峙しなければならないのでしょうか。美しい緑豊かな地球を、無機質な世界に変えようとしている人間の奢りへの警鐘なのでしょうか。でも、いつも犠牲になるのは、自然と向き合い自然と共に生きている人達ばかり・・・。

 彼岸花が風に揺れています。魂が燃え上がっているような真っ赤な彼岸花・・・、金縛りにあったように、カメラのシャッターを押すことが出来ませんでした。ハバロフスクの日本人墓地でこみ上げた感情に似た感情が湧きあがりました。そこに亡くなった人の魂を感じた時、撮ってはいけないと心の声が叫びました。

 庭のハナミズキの実が赤く色づき始めていることに気づきました。

 

 

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2011年

9月

21日

自然って・・・

 この秋初めてりんごを買いました。これまでしっかり観察したことはありませんでしたが、よ~く見ると、手作業で赤い絵の具を塗ったように一つ一つがみんな違っているのですね。自然の恵みに感謝です。

 そんな恵みを私達に与えてくれる自然ですが、その自然がひとたび牙をむくと、私達はただ無力なだけでなすすべを知りません。時には優しく、時には非情なまでに厳しく私達の前に立ちはだかる自然とどう向き合ったらよいのでしょうか。

 私達人間は、自分達が特別な存在であるという奢りを捨て、自然の一部として、真摯に向きあっていくしかないような気がします・・・。台風15号が猛威をふるっています。

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2011年

9月

19日

時を経たマトリョーシカ

 ロシアがまだソ連だった頃、モスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)、キエフ、オデッサなどを巡って、オペラやバレーなどの芸術鑑賞をするという旅をしたことがありました。

 赤の広場、エルミタージュ美術館、冬の宮殿、夏の宮殿・・・鮮やかだった旅の記憶も、少しずつセピア色になってきています。その旅で買ったマトリョーシカ、長いこと飾っていましたが、気がつけばいつの間にか仕舞い込むようになっていました。久しぶりに出したマトリョーシカは、やはり時の流れを感じさせます。

 今のマトリョーシカは、トールペイントのような感じで絵付けされていますが、この古いマトリョーシカ達は、ロシアの民族衣装の刺繍部分が細かい寄木細工で作られています。2番目に小さいものにも木が貼られています。

 買った時より深みを増し味わい深い色合いになったマトリョーシカ達、あの頃の私は、今のような未来が待っているとは思いもせず、無我夢中で生きていました。時を経たこのマトリョーシカ達のように深みを増して生きていければ良いのですが、時を経ても、まだまだ無我夢中で生きている今の私です。

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2011年

9月

18日

笑顔のマトリョーシカ

 ロシアの雑貨の中で一番有名なのは、やはりマトリョーシカでしょうか。まだソ連だった頃に買ったマトリョーシカを持っているので、お土産に買ってきてと頼まれた従妹と叔母にだけ買うつもりでした。

 自分用のマトリョーシカは当初の予定通り買わないまま、ハバロフスク空港まで来てしまいました。でも、25年くらい前に買った家にあるマトリョーシカと現在のものは、随分違った感じがして、何だかこのまま帰ってしまうのは心残りのような気もして・・・。

 どうしようかしらと思っていると、最後にマトリョーシカを売っている空港の小さな売店でこの子達と目が合ってしまいました。2011年の私達を一緒に連れて行ってと言っているようでした。

 明るい表情のこの子達と、ハバロフスクで見かけたソ連時代を知らずに育った若者たちの屈託のない笑顔が重なります。

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2011年

9月

15日

ロシア正教の教会

 アムール河近くの広場にロシア正教の教会が建っています。ペチュニアの花越しに見るブルーとゴールドの屋根の教会は、まるでファンタジーの世界に迷い込んだのではと錯覚してしまうほどです。

 でも、実際は、ファンタジーとはほど遠い苦難の時を経て今ここにこうして佇んでいます。どんな美しいものも、その経てきた道は平坦な道ではないはずです。この美しい佇まいの陰に、どんな大きな犠牲が隠されているのでしょうか。

 ロシア正教の歩んできた苦難の道、別の教会で見たイコン、教会で祈りを捧げる老婦人の丸い背中・・・、政治の流れに翻弄されたロシア正教の道のり、そして苦難の道を歩いてきたこの国の人々を思いながら、ひとりの異邦人としてこの教会を静かに見つめました。

 そして、日本人として、祖国の復興をそっと祈りました。

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2011年

9月

14日

北の大地から

 ハバロフスクの空港に着陸間近となり、アムール河やその支流が見えてきました。冬は、マイナス30度になるという北の大地の短い夏が待っています。

 これまで歩いてきた道、迷い悩みながらも自分の意志で選んできた道です。そして、これからの道を自分なりに思い描いている時、思いもかけない事態に遭遇することになりました。思い描いていたこれからの道を軌道修正せざるを得なくなりました。「今、私に出来ること」を私なりに精一杯していくしかありません。

 アムール河に抱かれた北の大地に力をもらい、この道を歩いて行きましょう。

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2011年

9月

13日

アムール河畔にて

 ロシアのハバロフスクのアムール河畔で9月11日を迎え、昨夜帰国しました。向こう岸は中国という大河アムールを見つめながら、静かな時を過ごすことが出来ました。アムール河のさざ波に身を任せる一羽のカモメのように、小さな自分を実感する旅になりました。

 異国の地で日常生活から解放され、自分自身を見つめ直す小さな旅の始まりです。4日間の小さな旅をこれから少しずつ振り返っていこうと思っています。飛行機で2時間半、時差2時間、そんなに遠くないけど、なかなか行くことのできないロシアの一都市への旅です。

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2011年

9月

08日

オキザリス

 ようやく天気が安定してきて、快晴が続いています。オキザリスのピンクの花が、一斉に開きました。雨の日や曇りの日には花が開かないオキザリス、そんな時は、あたりも何だか暗い雰囲気です。気持ちも少しブルーになってしまいます。

 晴れの日は、太陽が降りそそぎあたりは明るいけれど、オキザリスのピンクの花が一面に咲いて、さらに明るさが増すような気がします。ピンクは、心華やぐ色。太陽を浴びて花開いているオキザリスのピンクの花を眺めていたら、何だか幸せな気分になりました。

 

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2011年

9月

06日

ニラの花

 台風が日本中に爪痕を残し、ようやく温帯低気圧になりました・・・。1週間ぶりの青空の下、爽やかな風が吹きぬけていきました。朝日を浴びながら久しぶりの散歩をしました。ニラの白い花が、あちらこちらで咲いています。風が運んだこぼれ種が芽ばえて咲いたものでしょうか。

 野菜としてのニラは、独特の刺激臭があり、スタミナ食というイメージですが、そんなニラのイメージとはかけ離れている白い清楚なニラの花にびっくりです。清楚で爽やかな印象の白い花ですが、匂いはニラ!そのギャップがまた魅力でしょうか。

 

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2011年

9月

04日

9月 「秋への序章」アレンジ

 お月見アレンジ、テーブルタイプは「野原のお月見」をイメージしました。まだ夏のなごりが残る9月の野原のお月見は、秋への序章というところでしょうか。

 フロアタイプのお月見アレンジは、そんな晩夏から初秋への雰囲気を少しワイルドに表現してみました。ベースは、アイアンと籐のマガジンラック!花器ではないものをベースに使う時は、いつもより自由奔放な気分でアレンジすることが出来ます。花器という枠を飛び出して、マガジンラックの形状を生かしながらススキの生える野原を再現してみました。

 風が草木を揺らし、秋の虫の鳴き声も聞こえ始めて・・・、まだまだ夏色が残っているけれど、野原では様々な「秋への序章」を見つけることが出来ます。

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2011年

9月

03日

9月のアレンジ  ~野原のお月見~

 台風の襲来で始まった9月、強い風雨の週末になりました。こんな日は、手早く家事を済ませて、9月のアレンジを形にしましょう。9月のテーマは、「お月見」♪♪、今年の中秋の名月は9月12日、あらまあ、もうすぐです。

 お月見は、日本古来の年中行事なので、和の趣のあるアレンジ&ディスプレイを構想してきました。イメージは「野原のお月見」という感じで、花器は、手持ちの和モダンな白を二つ。フェイクの青竹の花器をひっくり返して、9月の野原を再現してみました。花材は、ススキに、白や緑のポンポンマム、雑草風植物や実物を。

 アレンジとしては、それでイメージ通りなのですが、お月見のディスプレイとしては何か物足りません・・・。「野原のお月見」を演出する小物が必要です。秋の七草の絵皿?うさぎの置物?等々、手持ちの物を出してはみましたが、しっくりきません。

 そんな時、ネットショップで清水焼の「月見うさぎ」の抹茶茶碗に出合いました。ススキの野原でお月見をしているうさぎの絵柄は、「野原のお月見」というイメージにぴったりです。

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2011年

9月

02日

栗の実ふたつ

   台風12号が近づき、風雨が強くなってきています。土砂降りになったかと思うと、ひととき晴れ間が見え、また土砂降りにと、雨雲とともにめまぐるしい変化をしています。

 様々な知恵をもつ人間ですが、自然の前には、地球上の一つの生物に過ぎないということを実感せざるを得ません。これから実りの時を迎えるにもかかわらず、風雨で落ちてしまった栗の実が二つ・・・。

 自然の脅威からどのように身を守っていくか、地球上の特別な存在としてではなく、一つの生物として謙虚に考えていく時かもしれません。今日明日の風雨で、栗の実はどのくらい落ちてしまうのでしょうか。

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