今朝の日経新聞で、作家辺見庸さんの「置きざりにされた記憶」を読みました。宮城県石巻市南浜町生まれの辺見さん、故郷を津波で失ってしまった心情が綴られています。辺見さんの「感官のあらかたをこしらえた」という南浜町の物理的喪失、それは、心の喪失・・・。
連絡のとれない人々・・・「記憶だけが水びたしの廃墟にとりのこされて、存在はなにもあかされないのだ。肝がぎりぎりとしぼられる。」
「毎日ほうけみたいに廃墟の映像をみている。散乱する遺体と記憶のかけらたち。南浜町の海岸から堤防をへて入江へとむかう小径には、わたしの思考法をいまのようにみちびいたとろけるほどに美しい風景と、それとうらはらな暗い影がいつだってつきまとい、宇宙のすべての愛と憎悪と不条理をすいこんで、昏倒しそうなほどに静まりかえっていたのだ。いまは、もうない。・・・」
「慟哭」という言葉が、波のように五臓六腑に押し寄せてはひき、ひいては押し寄せてくる朝となりました。
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