2015年
8月
21日
金
静かな森に息づく小さな植物達に再び出合えるささやかな喜びも、平和があってこそのものという想いを日々ひとつひとつ重ねていく今日この頃です。
暗闇の中で白く瞬く線香花火のような花とそれを支える緑の葉。白い花があっという間に実を結び、赤く熟した実へと変化していく時間。枯れ果てた花弁がしっかりと守り続けている若い果実。今まさに咲き始めようとしている白い蕾達。
人間もこのような自然のひとつに過ぎないのに、何という傲慢さで生きているのでしょうか。そして、何という残酷さで生きていこうとしているのでしょうか。
2015年
8月
15日
土
里山に白百合が咲く頃となりました。白百合の可憐なイメージからはかけ離れた荒地のような場所に、群生して咲いているのをあちらこちらで見かけます。
今日は終戦記念日、この花の純白の花弁がまぶし過ぎて、目に沁みます。可憐なイメージとは裏腹の逞しさをもつこの白百合は、戦火の中でも咲き続けていたのでしょうか。
人間が人間でいられなくなる戦火の中でも、この白百合が咲き続けていたのなら、それは、戦火に散った人達の魂の化身のように思えてなりません。この純白の花に誓って平和を守り続けていかなければ・・・。
2015年
8月
09日
日
軽井沢で過ごす日曜日の朝、特に早起きをする必要もないのだけれど、小鳥のさえずりで目覚めました。まだ5時過ぎ、もう一度眠ろうかとも思いましたが、家族が起きて来るまでの時間、休日の早朝をひとり静かに過ごすことにしました。
いつもは慌ただしさと向き合いながらの目覚めの緑茶も、今朝はソファでゆっくりと頂きました。緑茶の本来の美しい緑色が映えるよう究極な白の器を。大倉陶園のゴールドラインのカップで頂く緑茶は、いつもと同じお茶を同じように煎れただけなのに、まったく別物のように美味しく感じました。
灼熱に喘ぐ下界をしばし忘れてしまうほどの爽やかな風が吹き抜けて、優しい朝の光が、窓の外の緑をテーブルに映し出しています。
緑を湛えた穏やかな日曜日の朝が過ぎていますが、今日は8月9日。8月6日と共に忘れてはならない日が始まろうとしています。緑を湛えた穏やかな日常は、大きな大きな犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならないと自戒した朝です。